先日、長男がようちえんに土鍋を持って行った。
お米を焚き火で炊いて食べる日。
4歳児に土鍋は難関だったようで、割れてしまった。
2年前にヒビが入り台所のガスコンロでは使えなくなっていたそれは、
長女が同じく白飯の日に使っていたものだった。
それしかなかったとはいえ、長男はまだ4歳。
私の準備不足だった。
にもかかわらず、帰宅した長男は清々しい。
「お母さん、おナベ割れちゃったの。ゴメンナサイ。。」
いつもと違う。
・・・なぜ??
後日、保育士スタッフが教えてくれた。
長男が先生からの言葉を受けしばらく考えたのちに
自分から大人に分けてくださいと言い、
おかわりもできたという。
あの清々しさは自分で壁を乗り越えたしるしだったのだ。
ご飯が炊けないということを「どうするの」とたずね
言葉を発しやすいようにと寄り添う年中、年長さん。
どうして割れたのかを一緒に考え、
中にはお鍋の気持ちになった年少さんもいたのだそう。
鍋が割れる素材のせいだとか
誰かのせいだとか
言い訳もしたかったろうし(実際いつもする)、
お米を皆と同じように炊けない
ましてや食べれないというのは
4歳にはなかなか高い壁だったと思う。
そして、そこを長男が自ら行動するのを待ち
見守って下さった先生と保育スタッフ。
本当にありがとうございます。
大切な、しかも一番最後じゃないと出てこない
「ください」という言葉を表現できた喜びは大きく、
あの日から長男が変わり始めている。