森のようちえんとは

森のようちえんとは

1950年代中ごろ、デンマークのひとりの母親が「子供たちに幼い頃から自然と触れ合う機会を与え、自然の中でのびのびと遊ばせたい」と願い、毎日子供をつれて森に出かけたのがきっかけではじまりました。ドイツでは1990年代になって急速に増え、現在では幼稚園として認可され、ドイツ国内に150以上の森の幼稚園があります。

森のようちえんには、様々なスタイルがあります。ドイツの森のようちえんは園舎を持たず、毎日森へ出かけていくスタイルです。

日本では自然環境の中での幼児教育や保育を森のようちえんと呼びそのスタイルは様々です。園舎を持つようちえんも持たないようちえんもあります。共通しているのは自然環境の中での幼児教育と保育です。

そして多くの森のようちえんは、意図的に大人の考えを強要せず、子どもが持っている感覚や感性を信じそれを引き出すようなかかわり方をしています。

2005年より全国交流フォーラムも開かれ、森のようちえんを実践している人々の間で、情報交換や交流が始まっています。

森のようちえんHP

http://www.morinoyouchien.org/

森のようちえん

森の保育について(ピッコロ通信より抜粋) 中島久美子

「適応能力」 エアコンで調整されない野外。四季を体で感じ、環境を自分に合わせるのではなく、自分の体を外気温に合わせていく。そこに人間の器が大きくなる元があるのではないでしょうか。また初めての集団に入っても「自分をわかってくれない」と言うのではなく自分が周りの環境に合わせる力、そんなところが育ってくれるといいなと思っています。迷信かもしれませんが「大人になるまでに死ぬ程の寒さと空腹を経験するといい子に育つ」という事を聞いたことありますか。森のようちえんピッコロは死ぬ程寒いですね(笑)。

「創造力」 は無条件に養われます。子どもはどこででも遊ぶ訳ではありません。入園当初は森で遊べず友だちが遊ぶ姿をただ見ているだけの子は多勢います。しかしいつのまにか松葉がそうめんになり、朴の葉がお皿になり遊びに入ります。また形が確定していないものがおもちゃになりますから「これ、そうめんってことね」のようなコミュニケーションも必須になります。

「体力」 お風呂での並んだ卒園児の後姿がなんとも美しかった事!つくべき所についた筋肉、余分についてないゼイ肉(汗。森の坂道を毎日何往復もしているのですからね。補助なし自転車も5分で乗れるようになった子続出です。恐るべし森の筋肉!

「危険予知能力」 学校キャンプや子ども登山に同行経験が多い方が「ピッコロの子どもたちは怪我をしない」と教えて下さり、また子どもたちのバランスの良さ、危険予知能力の高さにも驚かれていました。転ばなくもなりますが、転んでも転び方がうまい、腹筋を使うので後頭部は滅多に打ちませんし手も出ます。

「多様性」 森で同じ物、同じ形はありません。人間も同様です。そしてもし「あの子より大きな葉っぱをみつけたい」と思えば、その可能性が無限にあるという事です。子どもの可能性は計り知れないと語る時、その子どもたちが無限な可能性のある環境の中で生活しているということになります。

「科学する心」 川で長靴が濡れました。早く乾かしたい子は日なたに置きます。なぜ日なただと乾くのだろう、科学する心とはこんな生活の一部から芽生えるのではないでしょうか。

「揺れる心」 私は自然環境の中ではこれがとても大きいと思います。「触ろうか、触ってみたいけれどどうしよよう、怖いけれど触ってみよう」、「飛ぼう」も「登ろう」も同じです。自然環境の中ではこのような事が起こりやすく、そして心が揺れたあと自分で決断します。「自分のスイッチは自分で入れる」(そして大人は子どものスイッチを先に押さないように我慢する(待つ))ということだと思います。自分で入れたスイッチを自分で成し遂げた時、大人のスイッチでできた時より子どもはいい顔をします。この「できた」「できた」の積み重ねが自分を信じる力につながってほしいのです。

⑧もちろん「五感」も働きます。

「体験教育」「これはね、この線(節)のところで折らないと折れないの」「これは手につくと明日まで臭いんだ」と子どもたちは体験に基づいたことをよく知っています。幼児は動きながら学ぶと言われていますが体が育たないと脳も育たないそうですね。自然が好きになれば植物の名前は小学校に行ってからいくらでも自分で調べると思います。順番としては先に体験、後から知識がいいと思っています。

「見守る余裕」 森はゆったり見守る余裕を大人に持たせてくれます。室内で大泣きされるとさすがに泣きやませたいと思うのが人間の心理だと思いますが、森ではどんなに泣いていても泣き声が気にならない、森に吸い込まれマッチしているように聞こえる時さえあります。

⑪そして何より私が好きな時間は森で不思議な物をみつけた時子どもたちと静かにいつまでもそれを見ていられる時間です。それは森の静けさと溶け合いまた少しばかりの緊張感が伴い、何かに包まれているような感じ、この瞬間がすべての幸せを集めるような気さえします。子どもたちはその事自体は忘れると思いますが、見えない何かが積もっていてほしいと願っています。

⑫これからは単なるデータなのでご参考までに(スウェーデンのデータ)。森のようちえんの歴史の長い国ですからデータもあります。信用できるものかは個人の考えにお任せしますが、幼児期を野外で過ごした子は以下の項目でやや優れているというデータです。「指示を繰り返す必要がない」「衝動的でない」「落ち着きがある」「注意力がある」「いらつきがない」「目を見て話す」。私は自分で体験した事以外、あまり信じられないタチなのですが、確かに森のようちえんピッコロの保育で感じる事は、何度も指示を出さなくても子どもたちが動く、1人1人がゆったりしている、子どもたちの意識が集団全体に行くという事です。保育をしたことがある方で したらびっくりされると思います。