「譲れる子」は「良い子」?

前回のブログ投稿に続き、昨年ピッコロを卒園した1年生の娘の話し。
3学期初日の放課後、担任の先生から「どうしても伝えたい話があって」と電話をいただいた。

その日は3学期の係決めがあった。
「並ばせ係(列になるときに皆をきちんと並ばせる係)」という係が一番人気で2学期の係決めで娘も並ばせ係を希望したが、希望者が多かったので娘は辞退した。娘によると他にもやりたい係があったし並ばせ係はいつかできるから辞退したらしい。クラスの子たちは娘にありがとうと伝え、先生は娘に3学期に並ばせ係になることを約束した。

そして3学期の係決め、並ばせ係は前回同様一番人気。
娘は既に並ばせ係に決まっていたので、娘以外の希望者がじゃんけんで決めることになった。
A君がじゃんけんに負けてしまい、その場で泣いてしまった。

娘がA君に「代わってあげるよ」と。
先生は驚いたと同時に「すごく感動した」と仰っていた。(それがわざわざ電話をくださった理由)

先生は娘の気持ちにすごく感動してくれて、その気持ちが素晴らしいとクラス全員で拍手を送ってくれた。

電話を切った後、娘にその時の話を聞いてみた。
私「あーちゃん(娘)も並ばせ係になりたかったのになんで譲ってあげたの?」
娘「他にもやりたい係あったし並ばせ係は2年生になってもできるから」(サラッと)
私「2学期にも同じ理由で譲ったよね??」
娘「ママ、係は他にもたくさんあるんだよ!私は全部の係をやってみたいんだよ」

娘が譲った理由は褒めてもらいたいからではなく、譲ることが正しいからではなく、本当に自分がそれで大丈夫だから、そしてA君がかわいそうとも思ったから。

ピッコロでは「譲れる子」を育てていない。
自己犠牲(自分の譲りたくない気持ちを無視して)で譲ると他の子から「嘘はダメだよ(本当の気持ちじゃないとダメ)」と言われてしまう。子供たちは信じられないぐらい人の心が全て見えている。

「譲りたくないなら譲らない方がいい」
「(自分の気持ちに)嘘つくと自分の心が見えなくなっちゃうよ」
(これ全部幼児の言葉!! 大人の私は耳が痛い・・・)

自分の気持ちを置き去りにして相手の気持ちを優先させる自己犠牲の精神は一見素晴らしいようだけど(普通これが褒められ子なんだと思う)、本当はしたくないことを相手がして欲しいからする・・・ これって本当に素晴らしいことなのかな。褒められるべきことなのかな・・・

蓋をし続けた自分の気持ちは、必ずいつか蓋から溢れ出てしまう。
もし溢れ出てしまったらその時はようやく自分の気持ちを大切にしてあげるのが大事なんだけど、ピッコロで育つとそもそも本当の気持ちを毎日大切にしていて、その結果他人の気持ちも大切にできるようになる。
そうやって譲れる娘の姿にきっと先生は感動されたのではないかな。

係決めの話しに戻そう。
娘は先生の約束通りに並ばせ係に決まった。

私「A君は大丈夫だったのかな」
娘「そのあと泣き止んで他の係に決まって大丈夫だったよ。A君は思い通りにならないといつも泣いちゃうから、いつも先生から気持ちを切り替えなさいって言われてて私もそう思う。」

ピッコロの子供たちは自分の心をしっかり見つつ、本当の本当に他人のことを考えている。
いや・・・ピッコロだけじゃなく本当は全ての子供がそれをやっているのに、気がついていないのは大人だけなのかもしれない。