見守る

朝の登園時、3歳の娘を叱った。
朝の着換えを自分でしない、水筒の蓋を閉めないため今朝も水を床にこぼす、荷物を自分で持たない、自分で歩かない、などなど理由はたくさんある。
もう入園してだいぶ経つのに全く自分でやらないのは私が手や口を出しすぎていたんじゃないかと少し焦り始めていた。
そこに朝の余裕の無さも手伝って「少しはママに協力して!」とプリプリ怒っていたのだ。

すると年長男子Kくんが「どうしたの?」と話かけてきた。
「自分で出来ることもやらないから少しは自分でやってと言ってたんだよ。」と説明したら、「それはお母さんがやれば」とサラっと言って行ってしまった。
「え?そうなの?」
そういえばK君はいつも娘が何もやらないと進んで娘の荷物を運んでくれたり何かと世話をやいてくれる。

そうしているうちに朝の会が始まった。
でも娘は年中男子Hくんと一緒に少し離れたところで遊び始めてしまった。
後で聞いたのだが、H君は娘が朝の会に行きたくなさそうに見えたから一緒にいてくれたのだそうだ。

何だか娘を暖かく見守るK君とH君にジーンときた。
それに比べて私のなんてお粗末な対応。。
「見守る」がなかなか出来ない。
「見守る」ってきっと「信じてる」ってことだ。
つまり愛情だ。
私は娘を信じきれず、あれやこれや手や口を出した挙げ句、やらないと言って怒ってしまう。
そこにどれだけの愛情があっただろうか。

次の日の朝、娘は「自分で着替える!」と自分で服を着て荷物も自分で持った。
私の為にやろうと思ったのかもしれない。分からない。
今度聞いてみようと思う。

どちらにせよ、これからは日々の中で「見守る」を少しずつやっていこう。
K君とH君のように。

K君H君に限らずピッコロの子供達は、年少児に対して本当によく世話を焼いてくれる。
年少児はたくさんたくさん面倒をみてもらって、ただただ皆の愛を受け取る。
そうして育った年少児は年中年長になったときたくさんの愛を与える子になる。

こんなふうに育ち合ってる子供達を見て私はいろいろな気づきをもらう。
私もまた子供達に育てられているのだ。

年少保護者 あや