子どもは大人がどう生きてるかを見ている。

「りょうちゃんが、りっくんが遊んでいた石をいじちゃったの。
それで、りょうちゃんが心配だからあおいちゃんは話したの。ごめんねしないとそのまんまの大人になっちゃうから。それだと、大人になっても誰かにごめんね言えないと、りょうちゃんが困るから。りょうちゃんは、それをつづけていかなきゃ、いいよ。一人で言えないからそうなっちゃうんじゃない?」
とその時のことを説明してくれました。

「ごめんね」してほしいりっくんと、言わないりょうちゃん。二人とも下を向いてしまっている。
あおいちゃんが、「ごめんねしてほしいの?」「りょうちゃん、りっくん、ごめんねしてほしいんだって。でもしたくない?」
顔を覗き込んで二人の話を聞いていた。
中島先生が、「私がしてること全部してる」と言った。
「気持ちを分かる(気持ちを聞く・理由を聞く・気持ちを出す)」「気持ちは寄り添うが行動は寄り添わない」「指示しない」「待つ」「表情や雰囲気で判断する、場を読む」…
(何だろうと思って『げんき』を読み返しました(笑))
4歳のあおいちゃんがそれをしてる。(家のあおいちゃんとは、別人。)
ピッコロのあおいちゃんがそれをできるのは、ピッコロの大人がどうしてるかを、どう生きてるかを見てるんだと思いました。
先生やスタッフの生き方なんだな…私と夫でだけでは、こういうあおいちゃんにならなかったな…とありがたくて涙が出ました。
ピッコロで育ったあおいちゃんの姉と兄にも(たくさんのここで育った子どもたちに)その姿を見せてくれて、ここでこんな時間を積み上げていったんだなとしみじみ思いました。


素直で、社会を、未来を信じている子どものそばにいられることに感謝しています。

年中保護者