「つないでくれる?」

年少女児のfちゃんがみんなのいちばん後ろで泣いていた。道路を渡るのに、手をつなぐ相手がいないのだ(ピッコロでは、年長組か年中組の子どもが年少さんの手をひく)。今日は、fちゃんに気づく子がおらず、みんなは道路の向こうへ渡り始めた。

fちゃんの泣き声が徐々に大きくなるのだけど、気づく子はまだいない。すると年中女児のtちゃんが、「fちゃん、泣いてる!」と声をあげた。
年長男児のkも気づいて、道路を急いで、でも安全に素早く渡って、fちゃんの元へ。

川で過ごしてピッコロへ戻る時、今度は娘がfちゃんと手を繋いでいた。ピッコロ帰りの車中で「fちゃんにお願いされた?」と娘に穏やかな口調で確かめてみると、「うん、そう。つないでくれる?ってfに言われた」と教えてくれた。

年下の子の手をひき道路を渡ることは、娘にとっては、とてもとても難しいことのようだ。緊張するのだと言う。

ピッコロ脇の県道は、車の通りはさほど多くないのだけど、左右を確認し、年少さん自身もしっかり見ることができたかを確かめて、よしっ!!と気持ちをあわせて数メートル先まで渡ることが、娘にとっては、大変なことのようだ。
年中組に進級してから、気になるけれど、自ら手を繋ごうとは積極的に言えない。でも他人事にはできない……そんな揺れる娘の様子をずいぶんと見てきた。

年長なんだからできなくちゃ、という見方をしていれば、親のわたしは苦しくなる。けれど、年長組のお泊りを経て、視点がずいぶんと変わってきた。

親の凝り固まった視点だけどでは決して見つけられなかった娘の姿。fちゃんとのささやかなやりとりを想像した。

『年少さんの手を繋いで道路を渡れない娘』という視点で娘を見ていたら、「繋げたんだね」と声をかけ、わたしが満足して終わっただろうと思う。
ピッコロの自主運営をする上で支えにしている言葉がある。保育スタッフのmちゃんの高校生になる長女hちゃん(ピッコロ第一期生)が、昔、お母さんが腕を骨折した時に話たそうだ。「お母さんが病院でお世話になって助かったから、看護師さんのお仕事もいいな」と。そして続けて言ったそうだ。「でも、どんな仕事も誰かのためになっているね」と。

fちゃんは、泣いている子がいると、そろそろっと近づいてそばで佇み、気にかけている子だ。いつもいつも。泣いている子に、どうしたの?何が嫌だったの?と、たくさん話しかけるタイプではない。「◯◯なんじゃないかなぁ……」と、ボソッと教えてくれることもある。

誰かが誰かに。
誰かを誰かが。

静かで、でもとても芯が強く美しいfちゃんに、娘は確かに背中を押してもらって、ホントはもうちょっと頑張りたい、そんな自分に近づけているのかもしれない。

女の子たちが、ちいさなどんぐりを見つけては、一個二個と拾い集めていた。いつもの川で見つけた、秋のいろ。ここで見つけるこの色もいよいよ今年が最後なのだなぁと、ちょっぴり感慨深くなった。

年長組保護者 まり