わかってもらった。

卒園式まであと1週間ほど。

なにがなんだか、もうただ毎日が大切すぎる日々のピッコロです。

先日、年少の息子が保育中におやつで配られたマシュマロをぱくぱくぱくっとたくさん食べてしまうという出来事がありました。

保育中におやつをたくさん食べてしまったのは2回目で、

前回も息子がたくさん食べてしまって、

他の子どもたちの食べる数が少なくなってしまうという出来事を経験していて、

色んな事を一緒に考えたはずだったので、

また!!!??と驚いてしまったのですが、

今回マシュマロを食べてしまったのは、食いしん坊で沢山食べたかったのではなくて、

あげたい人が居たけれどあげられず、

思わず食べてしまったという事が後から聞いてわかったのでした。

あげたい人、というのも、ずっとありがとうをちゃんと言えずにいる年長の女の子ふたりで、

母としては、ふたりが卒園するまでに気持ちをあらわすことができれば、と思ってしまいますがどうなるのかな。

その、あげたい人が居たけれどあげられず食べてしまった、という意外だった理由を、

聞いた翌日に先生にお伝えしたら、

息子に確認をしてくれた上で、子どもたちみんなにそのことを話すという時間を作ってくださいました。

その場では、みんなから、そうだったんだね〜などと丸くは収まらず、

こうしたらよかった!など意見が返ってきた、というような話を聞いていました。

大変だったんだなぁと思って、当の本人に聞いてみると、

「みんなにわかってもらった。」と言うのです。

そうなのか、、?!

そして私と息子の間に沈黙、、、。

そこで、私は、言葉ではなく、「わかってもらう」というのがどういうことなのか、

息子から教えてもらいました。

わかってもらう、というのは、私にとっては、

そうだね、と自分の意見の方に寄ってもらうとか、それでいいんだよ〜と言って認めてもらうことだと思っていたのですが、

息子から伝わってきたことは、

みんなと違うけど存在して良いということ、否定されたとしてもそこに在るということをただ知ってもらえたということ、

らしく、なんとなくそんなような事を言葉と思いにしながら息子に確認をしたら、

うんと頷いてくれたのでした。

そして、本人はその保育中の出来事にとっても満足しているように見えました。

本当にわかってもらった、らしい。どうやら。それがとても幸せそう。

わかってもらうって大人の私にとっては相手のある大変なことと思っていたのですが、

自分が自分として在る、というただそれだけのことなのかなぁと不思議な気持ちになる出来事でした。

今年度の登園日、あと2日です。

みんなとここで一緒に過ごせる今を最後の最後まで味わい尽くしたいなぁとおもいます。

おばけ母 えみ