今日は年長hちゃんのお誕生日会でした。
ちょうど1年前くらい、まだピッコロに入る前に入園前の息子と見学へ来た時、
ただ立ち尽くし泣き続けていた女の子がとても印象に残っていて、
それが、hちゃんでした。
その時は確かスタッフの方に、
hちゃんはお母さんのことが心配なんだよねと声をかけてもらっていて、
そうなのか、と思いながら、
青空の下、ただ立ち尽くし気持ちのまま泣いている姿がその子そのものすぎて美しく今でも私の中にそのまま残っている。
息子が入園して再会したhちゃんは、
その美しさとか潔さはそのままにずっと成長して見えて、
こんな風におおきくなったのだなぁと思っていた。
今日はそのhちゃんのピッコロで最後のお誕生日会だったので、一緒に過ごさせてもらった。
朝の会、みんながお誕生日のhちゃんのすきな所を発表する。
ひとりひとりからの言葉を、(言葉なのかなぁ何を受け取っていたのかなぁ)
何とも言えない嬉しそうな恥ずかしそうな表情で、
でも本当にひとつひとつをしっかり受けとっていて、
最後にhちゃんのお母さんから、hちゃんの好きなところを特別まっすぐ受けとっている姿をみて、
hちゃんとお母さんが重ねてこられた時間をおもった。
お誕生日の日、どこで過ごすかはお誕生日の子が決めることができる。
hちゃんは、ピッコロ、と言った。
お誕生日だから何か特別なことをするわけではなく、みんなそれぞれに園庭で遊んでいるのだけど、
ただ遊んでいる中にただ過ごしている中にみんなhちゃんへのお誕生日の祝福があるようにみえる。
多分きっとみんなその祝福の中に居たからだと思う。
ただそこに居るということの難しさを忙しくしていると特に感じる。
大人はなかなかただそこに居る、ができない。
心はどこかへ行っていたり頭は別のことを考えていたり。
子どもはしっかりずっしりただそこに居る、ということがお誕生日だとかわかりやすい日に、ようやく大人の私にみえてくる。
お誕生日の日にはお誕生日の本人が、みんなにおいしいものをふるまってくれる。
今日は9月から構想を練ってきたというチョコレートケーキをみんなでいただきました!
とってもおいしかったし、とっても栄養をもらいました。
おめでとう ありがとう
おばけ母 えみ