親しくしていく

ピッコロ帰り、長男がいる学校へ。習い事のプールスイミングバスが到着する前に、腹ごしらえのためのパンを届けにいった。

校庭の西側で、学年2つ上の男子数人とフットボールをしている。息子はわたしに気づいてこちらまで走ってきて、とりあえずランドセルを車に放ってのせ、まだ時間ある!と言って(10分そこそこしかないのに)彼らの元へ戻ろうとした。

がその時、足をとめて、
「◯◯◯◯がさ、お菓子のゴミを捨てるんだよ」と残念そうな顔をして教えてくれた。

2学年上の子が一度帰宅して、学校へ遊びに集合する際、おやつを持ってきていたようだ。

「ゴミは持ち帰るよって声かけたんだけどさ、ポイ捨てはいいんだよ、だってさぁ」
「えー?!? どうするの」
「……。拾ってくよ」

あちこちに捨てられたお菓子の袋。拾い集めると息子の手のひらから溢れた。

すると突然、100メートル以上は離れていただろうか、ゴミを捨てた上級生に向かって、大きな声で息子は言った。

「◯◯◯◯、ゴミ! 持って帰るよ!」

ゴミは出した人が持ち帰るもんだ。
だから何がなんでも拾わせて持ち帰らせる。
そうではなかった。

黙って持ち帰る。
それでもなかった。

息子はゴミを拾って、伝えた。
しかも、ものすごく優しい声だった。

大人が出てきて、ポイ捨てはいけませんと拾わせれば、きっと捨てた彼も拾っただろう。

捨てた人が誰だかわかっている。
どうして捨てていくのだろう。
捨てられたゴミはどうなる。
そして、自分がその場を去るまで、どうにかしようとも考えていたのだろう。
捨てた本人の気持ちもある。もしかしたら……と待っていたかもしれない。

責めることなく、その場を繕うためだけに、相手を変えさせるのでもなく。

ぼくはこうするよ、ただそう伝えた。

あの場で息子がとった態度は、これ以上どう伝えることができるのだろうか、というほど完璧に見えた。

「お母さん、お願い」と渡されたゴミ。
「わかったよ」と受け取ると、校庭の西側へ猛ダッシュ。フットボールに戻っていくその後ろ姿を眺めて、胸の奥が熱くなった。

2分もしないうちにスイミングバスが到着した。

「バスきたよー!」
「もう一回ボール蹴ってからー!」
「いやいやー、バス出るんだよ!!」

走ってこちらに戻ってきた。

息子はほんの少し間をおいてから、わたしに向かってフットボールで使っていたサッカーボールを、無言で、軽く投げた。わたしの足元にボールが転がった。

この日は、ピッコロに通う妹と、近所に越してきた年少のお友達kも一緒にいた。
年少kが、わたしに向かって「はい、ボールだよ」と足元に転がったボールを拾って渡してくれた。

バスに間に合わないかもしれないからと、大声で息子の名前を叫んだわたしに

「そんなにおおきなこえださなくても、だいじょうぶだよ。バス、まにあったでしょう」
まるで、そんなふうに伝えてくれているようだった。「はい、ボールだよ」。kはとても優しい目をしていた。

3歳年少児と9歳卒園児のやり方は、
わたしの中にズシンと響いた。

彼らは批判するのではなくて、繋がろうとして、その先を想像して、伝えてくれているのだろうか。

いつだったか、小学校での息子の様子を中島先生に話したことがある。自分に嫌なことをする上級生の気持ちを考えている。どうしたら伝わる? どうして意地悪をしてしまう? 意地悪をされなくなってしばらくして、なんでそんなことをしたのか、その子に聞いたらしい。
「つられちゃうんだって言っていたよ」

「つられちゃうのがいちばんわるいよ」って、息子の在園中に1級上のTが息子に教えてくれたことがある。わたしは、Tの言葉と教えてくれた時の、その場の空気も思い出す。度々思い出す。

息子は、嫌なことをされた上級生とも、いつの間にか親しくなっているように見えた。

「親しくなるのではなくて、親しくしていくんだと思うよ」。中島先生に笑顔でそう言われた。

親しくしていく。
友と、上級生と、先生と、社会と。

年少kもうちの長男も、彼らを見ていると、本当にそうなんだろうと思うのだ。

年中保護者 まり