馬鹿になって大声で笑うのだ  〜パインさん さいごの保育日 〜

 

きょうは  (3/20に書いています)

年長パイン組さんとピッコロで過ごせる さいごの保育日。

 

あさ、登園中の車の中で

普段どおり外を眺めて黙っている、年少おばけ組の息子に聞いてみた。

「・・・さみしい?」

いつも 野暮なことは聞くなよ、と言葉にしたがらない彼が その時はこたえてくれた。

(きっと 何の意図もなくほんとうに純粋に聞いたときにだけ ちょっとは教えてくれるのだ)

「うん。さみしい。」

「・・・でもね」 とつづく。

「さみしいけど  ひのとは  それは言わないよ」

「・・・内緒のことなの」

「ないしょにするの」

それを聞いて わたしのこころは とても納得していて 

あたたかく うれしくも感じたのに

つい「どうして内緒なの?」なんて聞いてしまったものだから

「しーらない! わすれたーーーー」と

いつもの調子で すり抜けられてしまった。

 

その日、園長だった私は

その場をつくる子どもたち、大人たちが

いつもどおり 色々なところで湧き立つ色々のことを

流さず立ち止まってみていくのを ありありと感じさせてもらった。

そして 帰りの会。

卒園式のリハーサルで ちょっとうまくいかなかったところの再確認になり、

「はい、〇〇チーム前に出てーー」のとき。

年長のおーちゃんが

いつも 人前に出てきたり、発表したり、をあまりしない さきちゃんの代わりに

「俺がかわりするー」と言って席を立つのと同時に

さきちゃんは 前に出てきていて。

それにすぐに気づいてさっと席に戻り

「・・・できるようになったんだねぇ・・・・・・」と

感慨深く 愛情と慈しみに満ちた様子でつぶやくおーちゃん。

「そう!さきはもう、大丈夫なんだよ!。。。」と

さきちゃんのお兄ちゃんで 年長のそうちゃんが

みんなの背中越しで おーちゃんに こそっと、 

嬉しそうに 誇らしげに とてもいい顔で言ったのだった。

なんだか パインさん(年長さん)と先生スタッフが重なって見えた。

そして さきちゃん。おばけ(年少)さん。

おにいちゃんのおめでとうの日の はなむけのことば。

さきちゃんは そこでこころが動く子なんだろうな。

それで通電して。体がうごいて。

弾けるようなよろこびが原動力。

そうだ。初めてあったときから 

さきちゃんは そうだった。

うん。。。いいな。

 

帰りの会が終わり、保育後

保護者と 先生スタッフで ありがとう&振り返りのお茶会を

ビニールハウスでしていた。

パインさんたちが 時々中を覗きに来る。

普段はそんなことはしない。

(来るのは、お母さんや食べ物が恋しくなったおばけさんたち、が相場。)

覗きにくる顔がだんだん、ニヤニヤしだして

なかに話しかけるようになって

あっちとこっちで ギャーギャーいいだして

ついに

「なーかーじーまーーーーーーー!!!!」

「ジュース飲んでんじゃねーーーーーーー!!」となった。

 

「出てきていっしょにあそぼうぜーーー!!」と

愛おしさに満ちた心の声で

彼らは 先生たちを 呼んでいた。

 

言葉にすると変になるけど

明日からは もう、ここで  在園として、

【いまの自分たち】として遊ぶことはないってこと

ほんとうによくわかっていて

だから いま、

先生たちと 思いきり遊びたくて

あふれて 

そんなかたちで

誘いに来る感じが

なんとも 愛おしくて いとおしくて

その場が愛おしくて

涙がでた。

 

パインお母さんの話によると

この日が近くなってきたころ おうちでは

さみしくて 残していく子たちが気がかりで

うなだれていたそうだ。

それでも、朝ピッコロに着くと

スイッチが切り替わったように 明るく元気にあそぶ。

いつもどおりに。

 

 

そして  朝の息子の言葉がうかんだ。

わたしの へたくそな 野暮な解釈だけれど

 

”  パインさんがもうここにはこないこと

 それは

 さみしいけれど 悲しいことじゃない

 心配させたくないし

 もう大丈夫だね  って 思ってもらいたい

 安心して 前を向いていってもらいたい

 だって

 さみしい なんて

 わざわざことばにしなくても

 かたちにしなくても

 通じてる

 わかっちゃう

 だって

 つながっているから”

 

 

だから

それぞれが

存分に 味わった 『さみしい』 を抱きしめて

たいせつな いま を

全力で ふざけて

全力で あそんで 

まじめに馬鹿になって 大声で笑うのだ。

いつもと違うからこそ

いつも通りに。

 

 

保護者 mii