『自分で決めてやればいいんだよ』

ピッコロには、卒園児と在園の小学生の兄姉、それから在園年長児を対象とした、森の学校という活動がある。

毎週末、野球の練習に打ち込んでいるピッコロ卒園児の小2の息子。毎月のように「この週末に森の学校があるよ」と息子に伝えてはきたが、野球があれば本人の意思でそちらを優先してきた。

先月、野球の練習が休みになり、ぽっかりと予定が空いた。
「明後日、森の学校あるよ」。改めて伝えてみる。

今年度の森の学校、初回の活動は確か6月だったか。あの日も急に野球の活動が休みになった。わたしはちょっとばかり(森の学校)行ったらいいんじゃない?という空気を息子に漂わせていたと思う。
「同期で誰がくるのー?」と聞かれて「YとH(ともに女の子)それからAくんも参加するって森の学校のメールにあったよ」と伝えると、少し黙って「行くことにする」と言った。

今年度、息子にとっては2回めの参加になった先月の森の学校の活動に際しては「誰がくるの?」とは聞いてこなかった。
息子は「(行くかどうか)もう少し考える」と言って、しばらくして「行く!」と力強く言った。

朝、久しぶりのピッコロに向かう車で「今日は森に入って木を伐採するんでしょ? あー、何ができるかな。楽しみになってきた」と呟く。楽しみになってきた…。それは、ちょっと緊張している風に聞こえた。

朝の会で〝今の気持ちを発表する〟となって、息子は「帰りたい」と発言したそうだ。
中島先生が「朝の会で、帰りたいって言うから」と笑いながら教えてくれた。
「帰りたい。それ言えちゃうんですね」と、わたし。「言えちゃうの。いいよね」と先生はまたまた笑う。

「お母さんに行きなさい!って言われて来た?」と先生に聞かれ「自分で決めた」と答えたという。
卒園したピッコロは、息子にとってまだまだ大事で懐かし場所ではあるけれど、多少緊張するだろうと、わたしもわかっていた。

森の学校の報告会後、中島先生が「今日は楽しかったと思うよー」と声をかけてくださった。
自宅に帰って、「どうだった?」と聞いたら、「めっっっちゃ楽しかったー!!!」と返ってきた。

息子が時々言う。
ピッコロでは自分で考えてやってきた。
だから学校でも、野球でも、そうやってやればいい。自分の気持ちは伝えていい。それでもしスムーズに事が運ばなければ、その時また考えればいい。

自分で決めてやればいいって簡単に言うけど、わたしには、なかなかできない。
自分で決めてやるって、自由だ。
その自由には〝自分で責任を取る〟も含まれる。だからこそ〝自由〟なんだと思うのだけど。

そういえばわたしには、「あーちょっと面倒くさいな」なんて思いながら参加する集会がある。終わってみると、よっし! よりよくしていこう!と感じている前向きな自分に気づく。だいたい、いつもそうだ。
大人(わたし自身)もよくなりたいし、よりよくしたいんだよなぁと、毎度のこと気づいて、少し気持ちが弾む。

一方、息子のはじまりはいつも『どうしてこうなんだろう?』ではなく、『どうやったらやれるかな?!』だ。

今日学校から帰って来て、お腹がすいたからラーメンつくりたい、と、鍋に湯を沸かし出した。水は、計量カップではなく、丼でいれている。ラーメン2玉に対してあきらかに鍋の水の量が多い。
「ねぇ、水が多いんじゃない?」
思わず口をはさんだ。
「いいの。前にもこれくらいで作っておいしかったから。卵も入れて醤油を足したらいいんだよ。ねぇねーー! ラーメン食べるーーー?」
2階にいる姉の分も用意して、ピッコロ年少の妹のおわかりも残して、人数分よそってくれた。
「あったかいうちに食べるとおいしいよねー」と言いながらズルズルとラーメンを頬張る息子。
ラーメンの味つけは、ちょうどよかった。

自分で考えて決めて動いた3年間。
在園年少児の妹のピッコロライフを通じて、今改めて息子のなかに培われた時間を愛おしく感じている。
考えても考えても動けない時、どうしても勇気ボタンを押せない時、仲間が気持ちを寄せてくれた。

卒園を間近に控えたこの時期、年少児に対して年中と年長児が、年中児に対して年長児の声かけが絶妙なのだ。

傷つかないかな。
これは言い過ぎになるかな。
やっぱり黙っておこうかな。
大人は何がいちばんいいのか、ぐるんぐるんと頭の中で適切な言葉を探す。
そこへ年長児パインさんは、少しの間をおいて、大事なことは心でわかっているからこそ、押しつけるでもなく、ほんとうににほんとうに優しい愛のある言葉を、静かにそっと置いていくかのようにしてかけてくれる。

3年間いっぱい与えてもらって。
だからこそ、あんな風にかえすことができるんだ。
みんなありがとう、と思う。

年少児保護者 たきざわ